
コモ
ミラノの北へ40キロ地点で
前方にアルプスが見えて
くる。
平野が狭くなる所、この町は
湖の南側に位置し、南北に
約50キロのコモ湖は、ちょう
ど漢字の「人」という形で、
南側で分かれている西が
コモ、東がレッコ、北にコリ
コの町がある。
ローマ人の町になる以前
インスブリ人の町だった頃
から、スプルーゲン峠を越え
ライン川へのこの湖は交通
手段とされていた。
この町は、シルクの産業
が有名で、湖畔沿いに王侯
貴族が建て、現在でも有名
人が持ち主の豪邸が、色鮮
やかに見られ、この見学は
ボートに乗って40分くらい回
るのをお勧めする。
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ベルガモ
市の名前の由来は、ドイツ
語のberg heim,またこの地方
の方言でベルゲム(berghem)
と呼ばれている。
現代の地名はイタリア語化さ
れた名前である。
ミラノの東50キロにあり、あ
る時代ミラノに、そしてヴェネ
ツィアに支配を受け、それら
の影響を残す文化を開花さ
せた。
町はもともと、丘の上に作ら
れ、その周りを完全な城壁で
覆われている。名高い作曲家
「ガエターノ・ドニゼッティの町
で、あのトラサルディを生んだ
町である。丘の上の旧市街
は、ほとんどが、煉瓦で覆わ
れた中世の建物で、その中
心はヴェッキア広場だ。
そこには、古いサンタ・マリ
ア・マッジョーレ教会やドゥオ
モと並んで、傭兵隊長コッレ
オーネの礼拝堂がある。
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パヴィア
ミラノから南西へ50キロ。
ティチーノ川は、スイス領
のティチーノ州からパダナ平
野を南北に走り、ポー川と
合流するが、その合流地点
の北にあるのが、パヴィア
だ。この町は、ヨーロッパで
古い大学のボローニャや
パドヴァと並ぶ、パヴィア大
学はかつてコモ出身の電
池の発明家、アレッサンドロ
・ヴォルタが教鞭を振るった
名門である。
かつてロンゴバルド王国
の首都としても発展し、この
町北9キロの1396年にジャ
ン・ガレアッツォ・ヴィスコン
ティによって建設が開始さ
チェルトーザは、カルトージ
オ会の修道院でもあるが、
ヴェスコンティ家、スフォル
ツァ家の霊 を内部に設ける
目的で作られた。
屋根つきのポンテ・コペル
ト(写真)が有名だ。 |

クレモナ
あの有名なバイオリン作
りの名人をを輩出したストラ
ディバリウス家、アマーティ
家は、ここクレモナにあり、
バイオリン博物館でみるこ
とができる。街の中心ドゥ
オモにそびえ立つ鐘楼の
塔は111メートルもある。
ここの名言に「トロン(ヌガ
ートッローネの方言)トラス
(イタリア1高い鐘楼塔)・テ
タス(オッパイ)」と言う。
最後のテタスは女性のオッ
パイではなく”牛の”だそう
で、ここいったいが酪農で
有名だからだ。 |

マントヴァ
クレモナからさらに東へ。
ミンチョ川が南北に走り、
ポー側の北12km地点。
ゴンザガ家によって、この
町はルネッサンスの影響を
受け、レオナルド・ダ・ヴィン
チは、ミラノから逃亡中この
地を訪れ、ミラノ公ルードヴ
ィーコ・イル・モーロの妻の
姉にあたるイザベッラ・デス
テのスケッチ画を描いた。
町は、三つの湖に囲まれた
ローマ時代城塞都市として
中世には3世紀も、この地方
の国の首都として栄えた。
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ポルトフィーノ
ジェノヴァから近いが、夏
のバカンスシーズンは、この
リグリアの海岸は、ミラネー
ゼでいっぱいになる。
かつて小さな漁村だった
このポルトフィーノは、ポルト
(porto=港)+デルフィーノ
(delfino=イルカ)から来て
いるという。
かつてリッチな避暑地だっ
たヴェネツィアのリド島が、
大衆が集まる海水浴場のよ
うになったのを嫌い、作られた
新生避暑地村となり、有名
になった。
今では高級レストラン高級
ななどがひしめく。 |

ドロミテ山岳地帯
ヴェローナを北上しボルツ
ァーノへ、またはヴェネツィ
アから北上し、コルティーナ
・ダンペッツォへ。このボルツ
ァーノの東、コルティーナの
西が、ドロミテ山岳地帯で、
奇岩の山や湖が次々と現
れ、命の洗濯をしてくれる。
この地方は、チロル人との
関係が深く、第1次大戦まで
オーストリア領だったところ
が大部分であり、現在イタリ
ア領であるにもかかわらず、
ドイツ語またはラディーノ語
という言葉をで話す人々が
住んでいる。 |

フェッラーリ工場見学
古代に作られたエミリア街
道には、リミニからミラノま
でほぼまっすぐに並んだ町
が、連なり、その中にボロー
ニャや、パルマなどがある。
モデナの南25キロにある
マラネッロは、世界中のフェ
ッラーリファンにとっての
巡礼地だ。
栄光あるイタリアの血を引
く、この名車たちは、速さだ
けではなく、絶対的な美しさ
を持つ。
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マジョーレ湖
ボロメオ家は、ミラノでヴィス
コンティ家、スフォルツァ家
と並ぶ重要な役割を果たし
てきた。
彼らは、スフォルツァ家
から、湖にあるアローナ
の町や3つの島をも与えられ
、その中でもベッラ島、マー
ドレ島は、有名で、ヴィッラに
なっている宮殿や庭、そして
館内にはたくさんの美術品
や興味深い収集品が集めら
れており、貴族の豪華な生
活を見ることが出来る。 |

カンツォーネディナーショー
ミラノの夜を演出するには、
当地の高級ホテル専用ミュ
ージシャンを呼んで、一生の
思い出に残るディナーを
演出してみませんか?
歌手が歌うイタリアのカンツ
ォーネを聴いたり、歌手
なしで、あらゆる催しを
盛り上げるために使ったり、
マジシャンを呼んだり、
バリエーションは自由。 |
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エミリア街道(via Emilia)
この街道は、紀元前187
年、エミリウス・レピドゥスが
ローマからリミニまでのフラ
ミニア街道をさらに北上し、
ガリア・キサルピナ(アル
プスよりこちら側のガリア)
を確保するために建設した。
リミニからルネッサンスの
歴史で知られる城がある
フォルリー、陶器で有名な
ファエンツァ、サン・マリノ
グランプリのサーキットがあ
るイーモラ、ボローニャ、モ
デナ、パルマ、ピアチェン
ツァ、ローディ、そしてミラノ
までがそうだ。
ピアチェンツァまでが「エミ
リア・ロマーニャ州で、ピア
チェンツァの町のすぐ北に
あるポー川からは、ロンバ
ルディア州になる。
エミリア・ロマーニャ州は、
あまり海外の観光で訪れ
る人が少ないが、イタリア人
にとって「イタリアで最も感じ
がいい人たち」が、この地方
の人々だという。
ヨーロッパ有数の海水浴
場があり、ディスコやホテル
が集まるリミニや、モザイク
で有名なビザンチン美術の
宝庫ラヴェンナ、小さな独立
共和国サン・マリノ、グルメ
の憧れパルマ、フィデンツ
ァから南西すぐのサルソ・
マッジョーレは温泉があり、
ミス・イタリアコンクールの
開催地である。
また、この州は、パヴァロ
ッティ(モデナ)、ヴェルディ
(パルマに近いブッセット、
ロンコリ)トスカニーニ(パル
マ)と音楽関係の偉人や、
映画監督のフェデリコ・フェ
ッリーニ(リミニ)と有名人を
たくさん輩出した。
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アルプス〜パダナ平野〜アペニーニ山脈
イタリア半島は、そもそも地中海に隆起した南北に連なるアペニーニ山脈とその麓の
丘陵地帯や平地がある。半島とヨーロッパの大陸との間にアルプスがあり、イタリアは、
フランス、スイス、オーストリア、スロベニアと陸で繋がっている。それを南北にはさむ
広大なパダナ平野には東西に流れるポー側があり、太古の時代に山岳部だけが陸
だったのが、雨が降りアルプスから流れる土砂によりこの平野が出来たことにより、ポー
川が残ったことになる。
パダナ平野はイタリア全国土の約15%の面積を占め、イタリア全人口の30%が集中
する。かつて氷河期の頃、氷河によって削られたアルプスの谷になっているところに
真水が溜まり、多くの湖がある湖水地方ができあがった。(コモ湖、マジョーレ湖など)
現在の平野部分が大昔、海の底だったその証拠に、山から取れる大理石には、海の
動物の化石がはっきり見られるものがよくある。もともと石灰質の土壌で、これらの動物
の貝殻が高圧力と高熱で大理石が出来上がったからだ。このような動物のカルシウム
を含んだ土壌で作られた農産物や、その土地の草を食べて育つ牛などの動物の質が
高いということも、イタリアが上質の食品を作ってきたことと関係しているといえる。
このパダナ平野は、ローマの進軍以前からまずケルト人、エトルリア人、ヴェネト人、
リグリア人などが住んでいた。これは、ローマ帝国崩壊以後も、イタリア統一まで、イタリ
アのなかでも、北は特に国々がたくさんに小さく分かれていたのも、この事と関係
がある。
いずれも大昔から現代まで、この平野は多くの民族がやってきた。交通の要地で、商
工業が発達し、主要な都市が点在する。ミラノ、トリノ、ジェノヴァ、ヴェネツィア、ボローニ
ャ、そして、ミラノの周辺、ヴェネツィアの周辺など大きな都市を拠点とすると、さらに様々
な町を見ることが出来る。
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