イタリアを感じる
ETRO S.p.A.提供
 
ミラコレ、モデル体験記

 イタリアと聞くと「まずファッションを思い浮かべる」と言っても過言ではないだろう。そしてそのイタリアの中でもファッションと言えば、大抵の人は「ミラノ」の町を連想することだろう。特に日本に住む日本人にとっては、ミラノのイメージそのものが「ファッション」という言葉ひとつに凝縮されるかもしれない。
 そんなミラノに住んでいると、あらゆる所で、デザイナーやカメラマン、バイヤーらしき人々、そしてモデルが闊歩しているのを見かける。また、街角でテレビや雑誌の撮影をしている場面にもしばしば出くわす。

 そのミラノファッションを有名にし、また世界的にたいへん重要なのが「ミラノコレクション」である。春と秋を中心として行われ、それまでバーゲン品が並んでいた店でも、「ミラコレ」を境にウィンドウの装いが変わる。
 僕はこの街に住んで14年。ファッションに関係した仕事をしていないし、モデルを仕事にしようなんて考えたこともいない。なんといっても昭和30年代(最後の年だが)生まれで、日本人の平均身長が高くなる前の世代の僕は170センチに数センチ足りない。顔だってどこにでもあるような顔。そんなに悪くもなく(自分で言うのもおかしいが)また良くもない。
 ところが、だ。2004年1月、エトロの秋冬コレクション「ETRO Collezione uomo autunno/inverno 2004/2005」ファッションショーのモデルとして選ばれてしまったのである。自分でも不思議だったので、デザイナー自身に、今回のコレクションがどんなテーマで行われるのかを聞いてみた。デザイナーはETRO創始者2代目のキーン・エトロ(Kean Etro)という人で、この人の言う今回のテーマは「各民族の貴族と戦士」なのだそう。3回ほど会っているうちに僕に「Osaka!」(僕は大阪人ではないが)と呼びかけるひょうきんな人であった。そういえばうちのおばあちゃんは旧武家の出身とかで、僕には侍の血が流れているらしい。しかし、そんなことが応募写真だけでイタリア人にわかるのかな?そういえば映画『ラストサムライ』が全世界で話題になっている。そうか、遂に僕の時代がやってきたのか!!
 さて、ショーの当日、“モデル”は朝8時に集合。ショーはお昼1時開始だというのにこんな早くからいったい何をするんだろう?なんて考えている僕はまったくの素人。楽屋にはもう数人のモデルが来ている。僕のあとにもぞくぞくとやってくる。それにしても皆背が高く全然かっこいいじゃないか。全員揃ったところで打ち合わせ、そしてメイク開始。今回、計67人のモデルのほとんどは外国から来ており、共通語は英語なのだ。うち63人がホンモノのモデルで主にドイツ、カナダやアメリカ、そして日本からも呼ばれていた。目立って多いのはドイツ人だった。イタリアで採用された“にわかモデル”が僕の他に3人いる。
彼らとは面接の時に既に会ったことがあった。プロの日本人モデルの徳山太士さんは日本からこの日のために駆けつけてきた。彼と話をしていると、それを聞いた男が日本語で話しかけてきた。その男はドイツ人で、フランクフルトで日本語を勉強しているという。3人で日本語で話をしながらメイクのために呼ばれるのを待った。徳山さんは仕事の都合で台湾に在住し、アジアを主な活動拠点にしているそうだ。一方日本語を勉強中というドイツ人はDietmar Seglくん。人懐っこく優しい性格で、のちのメイクによってより女性的に変身させられてしまう。
 モデルなんて服を着てステージ(知り合いのモデルさんによるとステージではなく「ランウェイ」というらしい)に出るだけだから誰でもできる、なんて思っていると大間違い。歩くという単純な作業だからこそ奥深い。まず、歩く歩調を前の人に合わせることは基本で、それでも、そんなことに気をつけているのを感じさせず自然でなければならない。これが難しい。自分自身を表現しなければならないのだ。僅かな時間に、言葉も話さないながら、すごく表現する俳優なのだ。もちろんモデルのタイプによって出演の順番も決められる。とはいえ、我々現地採用組(自称コミカル軍団)は“刺身のつま”のようなもので、二組のでこぼこコンビ(ノッポとチビ。太っちょとやせた小柄)が面白おかしく登場するという設定だった。ド素人の僕は、リハーサルで前のモデルに近づいたり離れたり…。初めて歩いてみて、「まったくもってすごいことを引き受けてしまったもんだなあ」と痛感した。
 リハーサルはメイクや衣装をつけ終わらないうちに行われたのだが、あとで僕のメイクも衣装も完璧になると、はじめて自分の役割がわかった。イタリアで割合人気のシリーズもの映画『空手キッド』に登場するあの日本人老師匠になってしまっていた。他のモデル達もみな、リハーサル後は迫力ある戦士になっていた。
 さてここで、ファッション雑誌から飛び出してきたようなプロモデル達を見ていると、日本人の特徴そのものような僕(「もう俺はそんなのを超えているから、あんたのようなのが日本人だと言われるのは迷惑だ」と思う若い世代の読者もおられるかもしれないが…)を、何世代にもわたって米を食べてきた農耕民族のアジア人だと再認識する。まあ一生に一度あるかないかのことだし、お金ももらえると言うし、恥のかきすて、見物しにきたつもりで気楽にやろうと自分に言い聞かせた。キャスティング担当の女性が僕を「Bello!」(この場合は「なかなかいいじゃない」というニュアンスだろう)と褒めてくれた。
 日本では日本人男性の権威が落ち、今の日本人女性は特にここイタリアの男たちに弱いようだ。「太平洋戦争で負けたわが国では、その負けた自国の男たちに魅力を感じなくなったのだ」という説もある。そう言われてみれば、他のアジアの女性たちは、それほど西洋人コンプレックスをもっていないように思える。たしかにイタリアにおいて「イタリア人より日本人の方がいいわ」という日本女性に会ったことなんてない。日本人プロモデル徳山さんは、日本人というよりモンゴルかどこか中央アジアの人のようにされて、あまり満足ではない様子。彼は僕を見て「かっこいいじゃないですか!」と言ってくれた。もしかしたら、さっき女性から褒められたのも、まんざらお世辞でもなかったんじゃなかろうか???
 それにしてもヨーロッパ系のモデルは本当にキマっている。彼らは僕の存在にさえ気がつくこともないのでは、と思っていると、「Good」と誰もが僕を注目している。そうなんだ。カッコいい人はカッコイイモノには飽き飽きしていて、“新しい血”を必要としていたのだ!あるモデルはカナダ在住だが、なんと母親は日本人だと言う。僕のパートナーになるのは太っちょのイタリア人マルコ。彼が僕に言う。「先祖に日本人がいて、僕はその血を受け継いでいるんだ」。他にモデル達も次々に「日本に行ったことがあり、○○がおいしかった」なんて人懐っこく話しかけてくる。
 なんとモデルの世界で日本は必要とされているのであった。
 そうこうしているうちに、だんだんボルテージがあがってくる。本番スタート前、ジャーナリストやカメラマンたちが押し寄せてきた。各国のカメラマンが僕を写していく。日本人らしい取材班はかえって僕のところなんかには来ない。キーン・エトロ氏(Kean Etro)がテレビのインタビューを受けている。彼は僕に気づき、テレビカメラの前に立たせてこう言った。「そう、例えばこのOsakaからやってきたサムライ(大阪ではないというのに!)。
 このように様々なモデルを使い、今回のテーマは『民族を超えた貴族性』であって…」。そんな風にカメラに向かって話したので、僕も「その通りだ」という顔をテレビカメラに向けた。なんだ。こんなところで僕のような者が必要となるのであったか。我々日本人が自信を取り戻し、自分の国のオトコどものいいところを再発見する時がきたのではないだろうか?「武士道」という、内面から溢れる普遍的な「美」を見直そうではない か。なんだかすごく自信をとりもどした僕は本番で、おそらく数百人が見守るステージ(じゃなくってランウェイ)を悠々と歩くことができた。「ジャーパン!」という声が飛び、場内の観客がこちらを見る。フィナーレでは全員が走りながらもう一度ランウェイを駆け抜ける。すっかりノッた僕は思わず飛び上がっていた。すべてが終わると奇声をあげるモデルもいて、彼らはナヨナヨしたやつらではなく、すごく陽気な雰囲気だ。
 メークを落とし、すっかり自分に戻ったあとも、なんだかすごくいいモノを得たような、最高にいい気分だった。そう、この日僕は、同じ国で活躍する中田のように日本男児の復権のために貢献したのである。何がきっかけで人生が変わるかわからない。僕の挑戦はこれからだ!


Guido

イタリアの日本語月刊新聞COMEVA2004年11月号掲載文を転載。なお、COMEVA講読をご希望の方は、
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